はまたろす。の躁うつ雑記&日誌

うつ病(自己診断&治りかけ)の21歳高校生の書くブログ。のんびり書いていきます。

20歳で初めて高校入学した話。

高校に入るまでの経緯

中1で不登校になり約4年。高校にも入学せず、どこにも行けず、家にこもっていた。

父親がくも膜下出血により生死の境をさまよってなお、外に出る気が起きずそれから更に1年も何もしなかった自分に衝撃を受け、なんとかせねばと焦り、どうにかこうにかバイトを始めた。(上に兄弟がいないため両親が病気になった場合に誰が金を出す、誰が面倒を見る、もしも亡くなってしまったら誰が葬儀を主催するのか、私でなければ6つも下の妹にやらせるのか。それを考えると気が気じゃなくて死にそうになってた。のに、何もしない自分が怖かった)

バイトをして初めて、高校の学費がなんとか手の届く範囲であると知り、去年の4月、私は通信高校に入学した。

両親にはそれより働けと言われたが、どうしても先に高校に入りたかった。
高卒資格が欲しかったのもあるが、中1以降同年代と話したことがない。本格的に社会に出る前に練習しておきたかった。友達との会話の仕方や、距離の詰め方。相手への心の開き方。
つまりは人との関わり方。人と関わること全てに自信がなかった。

通信高校と聞くと、登校は年一回とかで宿題をこなすパターンや、週一とかで千差万別の年齢の方が通ってるパターンのやつが思い浮かぶんじゃないだろうか。
けれど、1番の目的は人と関わることであった。そのため通う形の学校で、さらにはレクイエーションなど関わる機会を作ってくれるイベントをたくさん行ってくれる学校がよかった。

1年生として入るわけだから、本当の(いや私も一応本当の高校生なはずではあるが)高校生とは5歳差かぁ…と思うとキツい。
けれど中退など様々な理由で、本来の年齢以上の歳になってから入学してくる人は二、三割くらいはいるだろう、と思っていた。実際私が入ったところでも60だか70歳のお婆さんが入ってきたことがあったらしい。彼女は学校生活を思い切りエンジョイできたらしく、文化祭でコスプレ的なこともした…らしい。すごいなそのお婆ちゃん。

5歳差を隠して紛れる21歳

私が入学した学校は、委員会もあれば、サークルもあり、文化祭も体育祭もある、金もバイトをすれば十分間に合うという、条件ぴったりの学校だった。年齢と自分のコミュニケーション力が不安だと、学校案内の時に先生に伝えたら、問題なく馴染めると思いますよとも言ってくれた。

だがしかし、いや、私がこの一年で関われた人の数のなんてたかが知れ過ぎてるせいなんだろうが、普通の高校生しかいないように見える。ただ、やはり通信制。入学時点では10人程度しかいなかった私のクラスだったが、全日制高校から途中脱落してくる子が多く、今では20人近に。

そんなわけで20人程度の高校1年生の中に1人、21歳が紛れ込んでいるということになる。もう字面がキツイのである。ちなみにまだ生徒は誰もこのことを知らない。一応、友達はできたのだが…。

これを読んだあなたならどう思うだろうか?

自分が高校生で、友達としてつるんでいた相手が実は5歳年上だった…、なんて知ったら。ちょっと怖くないか? しかもそれがたった1人の友達だったら…。私の存在がいつか誰かのトラウマにならないか心配だ。

学校生活の感想

さて、そんな学校生活始まってすぐの感想は、髪染めてる率高っか。の一言である。茶、金、赤、青…etc。あとピアスも。中には舌ピを開けてる生徒もいた。言い忘れていたが私は、田舎から2時間電車に乗って通っている。都会っ子ってすごいなって思った。(小並感)

学校が始まってすぐは、十分の休み時間になっても誰も席を立たず、誰も会話せず、みんながみんな静かにしていた。それが、最初の3、4週間は続いた気がする。あぁ、やっぱり現役高校生とはいえ、通信に入っているのだ。陰キャよりな子が多いんだな、と安心した。

それでもその静寂の中頑張って他の子に話しかけた子がいた。そこから、髪を染めていたりと、見るからに私よりは断然行コミュ力のある子達でのグループができた。

私は私で、大人しそうな黒髪の子に話しかけられ、テンパりながら人生初のLINEを交換をした。(LINE=いじめ のイメージがNHKによって植え付けられていたので余計テンパった)それから一年間2人でひっついて行動することになる。が、悲しいことにあまり仲良くなれないでいる。他にいないから一緒にいる、といった感じで、お互い隣に座るもののあんまり話せない。

これは私の問題なのだが、初対面だと比較的話せる。特に二度と合わないだろう相手とは。
ただ、相手との距離を全く縮められない。話せば話すほど空回りしていく気がする。できるだけ相手を立てるように話して、相手のことを引き出し続けることに徹してしまうと、自分が空っぽになった気にさせられる。

ずっと他人と会話を続けていると、気を遣うせいでどっと疲れてしまう。

特にLINEは疲れる。
LINEをしていると手汗が酷いわ、顔は赤くなるわ、既読がつくせいで焦るし、相手が返しやすくなるような文章を考えるのも疲れるし、どこで会話を打ち切っていいのかが全く分からない。段々慣れてきたものの、まだ苦手意識は取れずLINEの通知音に時々怯えてしまう。通知音が鳴ると反射的に汗が出てきて動悸がするのがちょっとつらい。

それでもなんとかできた友達

『自分から話しかけなければ友達はできない』の言葉を胸に私は行動した。

まず自己紹介の時に全員の名前を覚えるよう努力した。忘れたりしたら失礼だと思ってめちゃくちゃ頑張って覚えたが、半分くらいは今では忘れている。
まだ誰かに話し掛ける勇気を持ち合わせていなかったので、委員会に入った。とにかく会話の機会を作りたかった。
思い切って、1人でいる子や、私のような陰キャそうな子に話しかけた。が、大概は相手もコミュ力が低いため、お互いに最後は沈黙するのがオチで、仲良くはなれなかった。同じ子に何度か話しかけても、相手がのってきてくれないのが結構辛かった。しかしかえってコミュ力の高そうな子に話しかける勇気は出ず、1人で居て、気の弱そうな子を狙って話しかけた。
未だに髪を染めている人は少し怖い。DQNのイメージがある。実際そうな人も何人かいたが。

去年の8,9月までは過呼吸や癇癪がまだ治っていなかったので、私の話し方が悪いんじゃないか、とか考えるとキリがなく自己嫌悪に陥って、家や1人でいる時に癇癪を起こしたりを繰り返した。(治った、とはっきり感じたことはないが、そういえば9月あたりを最後に過呼吸は一回も起こしていない)

それでもこの一年で、LINEは4人と交換し、友達と呼んでいいだろう存在が2人できた。

1人は先ほど書いた、LINEの交換を持ちかけてきた子。(その子はクラス全員とLINEを交換したが、仲良くなれた相手はいなかったように見える)
もう1人は、1人でいる子に頑張って話しかけた結果、得た友達だ。遠足的なイベントの時に、自由行動開始後1人で歩いて行く生徒は多かった。終わりがけの時にちょっと勇気を持って話しかけたら、出身が同じ県で、意気投合した。
かなり話しやすい人で、気持ちよく会話できた。こんなに他人相手にすいすい会話ができたのは何年振りだろうか、と帰りの電車内で1人高鳴る胸を押さえつけながら、ちょっとにやけたのを覚えてる。
因みに一学年上なので、ちょっと仲良くなった今も、敬語を使い、「先輩」と呼んでいる。4歳上なのにな。

その2人とはご飯も一緒に行った。
初めてご飯に行った時は緊張した。だってそもそも普通の飲食店に、普通に1人で食事に入るのでも緊張するのだ。(まぁ、今ではドトールくらいは余裕だけどぉ?)
内心は「人生初の友達とご飯だぁ!」なんて思い、緊張して汗が吹き出てるのを必死にバレないようにしながら、初めてではないかのように振る舞った…つもりだ。

それから何度か回を重ね、結構慣れた。その友達とスタバデビューも果たした。スタバに入ったことがないのを田舎生まれを理由にできるのは楽でいい。

…だがしかし、私のその友達は羨ましいことに、あまり人目を気にしない。
私は店員さんが話しかけてくるような服屋などには勿論入れないのだが、彼女はまったくもって平気らしい。
どう考えても身の丈に合わない感じの、値段が書いていない香水が並んである店や、100万越えの商品が置いてある宝飾店(デパート内)にも、見るだけならタダと言って躊躇せず入るのだ。
その流れでGUCCIの店舗に入ることになった。最初は断ったが、こんな機会中々ないだろうなと思い切って入ることに。

三階建てに見えるそのGUCCIの店舗の中には出入り口、カウンター、階段に1人ずつ店員さんが立っていて、入ると出迎えてくれた。
「今日はどのような商品をお探しでしょうか?」と聞かれて、「いや、見にきただけです」と彼女は高校生らしく答えた。ひぇ〜と思いながら店内を見て回って、ただ出た。
それだけなのだが、私にとってはすごい出来事だった。

とにかく1年の間に何度か友達を作れてよかった。バイト先では変わらず孤立し続けているが、まぁ学校生活の方で進展があったのは嬉しい。

まぁ、我ながら成長したなぁ、と思う。
今年の目標はスタバに1人で入る、でいこう。

約5年越しにテラリアをプレイしたら、悲惨な目に遭い続けた話

※この記事は約5分程度で読めます。
f:id:hamahamahamatyan:20220123151948j:plain
私が中学生ぐらいのときに、テラリアをps3で妹と画面分割して始めた。

最初はマイクラ2Dバージョンのようなものだろう、と思い込んでいたし、まだ当時は幼かったのもあり、あまりのムズさとボスのグロテスクさに怯えながらプレイした。

なんとかノーマルモードの最終ボスウォールオブフレッシュ(新鮮な壁って何やねん?ってずっと思っていたが、フレッシュ=肉 なので肉壁という意味だ)を倒し、ハードモードで探索に探索を重ね、何体かボスを倒したものの、クロロファイト鉱石をどうやったら掘れるようになるのか分からず、プランテラとかいう食虫植物みたいなボスに勝てないまま長年放置していた。
ちなむと妹は当時小3くらいだ。

だかしかし、今年の正月。
コロナで親戚一同での集まりもなくなり、私たちは暇を持て余していた。
あまりの暇さ加減に2人プレイのゲームを渇望していた私と妹は、Switchの「空気読み2」「モンハン3rd」なんか無料のカーレースゲーム、などなど数々のゲームに手を出した。

我が家では2人でプレイと言ったら「無双OROTI Z」のバーサスモードで対戦しまくるというのが定番なのだが、あまりにもプレイし過ぎて、私は無双OROTIを見るだけで嫌気が差すようになってしまっていた。
f:id:hamahamahamatyan:20220123154411j:plain
↑親の顔より見た無双OROTIぃ…。

じゃあ懐かしのテラリアをやろう!

そんな中、妹がテラリアという禁断の箱を開けようとしたのだ。
私も私で「えー、でもプランテラ倒せへんやん」などとゴネつつも暇だったので、つい乗ってしまったのである。
それがあの悪夢の始まりとも知らずに…。

流石に成長したのでサクサク進んだ。攻略も見たしね。
プランテラを倒し、その次のボスであるゴーレムを倒し、クロロファイトも掘り…。
そこまでは良かったのだが、次のボスがなんなのか私たちは分かっていなかった。

…ついでに言うとテラリアのバージョンも分かっていなかった。

バージョンの罠

テラリアはSwitch版、ps3ps4、pc、と多くの機種で展開しているのだが、それぞれ最新バージョンが違う。
Switch、ps3、ps Vita、は1.27が最新、それ以上の更新は無いと発表されている。に、対してpcは1.4。ps4は1.29となっているのだ。

次のボスは狂ったカルトというなんかイカした感じの奴らしい、ということで私たちは浮き足立っていた。数年前にも狂ったカルトは画像で見ていて、一度やってみたいと思っていたのだ。

けれどその狂ったカルトが、条件を全て満たしているはずなのに出てこない。
検索して条件を改めて確認。
…がしかし、出てこない。

さらに調べてみると、出現場所である青ダンジョンの入り口が破損していると、ダンジョンだと認識されずカルトが出てこないという。
私たちが進めていたワールドのダンジョンは見事に入り口が大破している。

それは何故か?
隕石が落ちたからだ。
正直どこが入り口なのかわからないくらい、壊れている。
しかもそれは数年前、私たちがガキだった頃。そしてあのノーマルモードのラスボス、ウォールオブフレッシュを倒すより以前に出来ていたものだ。

あぁ、私たちは元々進行不能になっていたワールドを、何も知らずに楽しくせっせと進めていたわけだ…。
そう思うと私は悲しかった。
知恵袋でどうにかできないか聞いてみたが、できないらしい。
ひたすら虚しいばかりである。

不完全燃焼状態になった私たちは、もう一度初めからテラリアをやることにした。
数年間遊んだ、思い出のあるワールドとはおさらばするしかなかった。

…知ってる人ならもうお気づきだろうが、ps3版にはそもそも狂ったカルトはいない。
それを知らずにもう一度私たちは最初からテラリアを、わりと中盤まで進めてしまった。
が、まぁ、楽しめていたのでそれはそれでよし。
途中、カルトが出ないことには気付いたが、そんなにショックはデカくなかった。
楽しく私達は家を作り、探索をし、ボスを倒し…。

f:id:hamahamahamatyan:20220123101604j:plain
(ちなみにこんな家を作っていた。下の階にも色んなバイオーム?の部屋があった)

あれ…? あれあれあれ?

プレイしている最中、突然画面が真っ暗になった。
最初はケーブルがちゃんと入っていなかったのかと思い、あれこれ挿し直した。
もう一度電源ボタンを押してみる。
電源がOFFであることを示す赤のランプが、青に変わる。
なんだ、線がちゃんと挿さってなかっただけか。あ〜、一安心。と一瞬だけ思ったのも束の間、起動音の後そのランプが消え、なんかよくわかんない状態になった。それから色々手を尽くした。

ps3はご臨終になられてしまったのだ。
あぁ、我が家のテラリア、オブビリオン、スカイリム、マイクラ、ダークソウル、三國無双シリーズ、他にも色々あった気がするが思い出せないゲームたち…。
それらが全て消えた。

それでも妹のやる気の炎は消える気配さえなく
「これはテラリアがps4版を買うよう背中を押してくれたんだよ」
と購入する気満々だった。

ps3が壊れたならps4版を買えばいいじゃない!

ps4版を購入。
だがしかし、我が家のps4には致命的な問題があった。
半年前買い替えたWi-Fiとの互換性が悪いのか、エラーコードが出てネットに繋げないのだ。
再構築やLANケーブルを繋ぐなど、これで治ったよ〜!のネット情報を頼りに色々試したが駄目で、ずっとそのままにしていたのだ。

あとはもう、初期化するしかない。
あぁ、私は1日のうちにps3ps4の全てのプレイデータを失うのか…。
そう思うとショックは大きかった。
ちなみに私の雑なアカウント管理のせいで、復元は不能だ。

しかし初期化してもネットに繋げず、仕方なくオフラインのままテラリアを始めることに。
しかし、プレイを始めてすぐに、違和感に襲われる。

またしてもバージョンの罠にまんまと引っかかる

「なんか新しい要素なくね?」
そりゃそうだ。
バージョンが私たちにやっていたps3よりも前の1.2なのだから!
ボリアルウッドがほしくて、雪の土地に生えてる木を刈っても刈っても、もくざいしか手に入らないのも当然だ。

詰んだ。
そう思った。
妹に至っては「テラリアに呪われてるとしか思えない」と嘆いていた。

もし新しくps4を中古で買ったところで、それがネットに繋げられるという確証もない。
ps3は母がまた購入するらしいが、ps3版テラリアはDLCで購入したもので、ディスクはない。

そんな時、ネットでWi-Fiが1日から借りれるサービスを見つけた。
返す日当日にポストに投函するだけでok! 1日600円!
試すには丁度いい値段だった。
それで最新バージョンがダウンロードできれば万々歳だ。

借りたWi-Fiは見事ネットに繋がり、最新バージョンにアプデ。
f:id:hamahamahamatyan:20220123151026j:plain
↑ver1.29にちゃんとアプデできた証拠。ちょっと感動した

新アカウントも作り、こうして私達は約1週間をかけてテラリアをまた新しく始めることができたのだった。

実はこの後も面倒臭いことが色々あったのだが、書くのが面倒くさくなってきたので割愛。

めでたし、めでたし。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。

↓無事最初のボス、クトゥルフの目玉討伐成功
f:id:hamahamahamatyan:20220123152007j:plain

ポジティブ思考を目指して 〜ただの自分をただ認めるために〜

ポジティブ思考になろう!…なんて思うだけでポジティブになれるなら誰も苦労はしない。
ただ少しずつ、それなりの年月をかけて思考の癖を変えていくことをはできるんじゃないかと私は思ってる。人は変化し続ける生き物だ。どうせ変わっていくならいい方に変わりたい。

もし、少しずつ積み重ねた努力で、5年後、10年後、現在の自分が予想だにしないような自分がいるというのは、とてつもなく魅力的な話だと思う。かなり長いスパンで話してしまったが、もっと早く、1、2年で変わっているかもしれない。

たった1年先の自分だって、どこで誰とどんな風に過ごしているか? なんて全く予想がつかない人の方が多いんじゃないだろうか。

極端な話かもしれないが、半年先に急に新しい趣味との出会いがあってどハマりし、さらに一年後には仕事を辞めて、その趣味を仕事にしているかもしれない。
1年もあれば自分の身と、自分の取り巻く環境、自分の思考に何が起こるかなんてわかったもんじゃない。未来の自分に、少しでもいい未来をプレゼントしたいものである。

という訳で、今回はポジティブ思考の癖をモノにする方法と、実際私が試してみたものや、これから実践する方法なんかについてを書こうと思います。
成功体験というわけではなく、あくまで私自身うつを治し切っていない途上の段階にいるため、大体は啓発本からの知識だと思って欲しい。

私はどうも本題に入るのにながーく前置きを置いてしまう性質なので、面倒臭い理論や、私の体験談などが要らない場合は飛ばして下さい。

とりあえず理論から

問題は『何を』『どう継続』するかに懸かってると思う。
努力は必ず実るなんて言うが、私はその言葉は信じないし大嫌いだ。
努力の方向によっては、実るどころか逆効果をもたらす可能性だってあるだろう。
あがり症の人がそれを治すために、発言や発表の機会を積極的に増やしてみたところ、失敗体験の塗り重ねになってしまい、余計酷くなってしまったなんて話を聞いたこともある。

大事なのは2つ

1つは成功体験を重ねること。聞こえはカッコ悪いが、成功確率が高いものだけしか挑戦しないっていうのがみそだ。今の自分のレベルに合わせて、少しづつ出来る範囲を広げていく。
ただ、もちろん、どんなに成功確率が高かろうが失敗するときは失敗するだろう。

そこでもう1つが、失敗を引き摺らないこと。
ようは自己否定をしないことだと思う。

失敗体験を重ねることの何がいけないかと言えば、「自分は駄目だ」と否定することにある。逆に言えば失敗だって気にしないで済むのなら、何回失敗を重ねても問題はないんじゃないかなと思う。
まぁでもポジティブになりたいと思ってる時点で、おそらく失敗を気にするタイプがほとんどだと思うのでこの情報は意味がないな。

意味を履き違えていると効果が出ない

私がそうなのだが、よくあるパターンとして否定してしまったことを否定するというのがある。
ポジティブでいよう、いようと思うあまりネガティブな発想が頭に浮かび次第自分を咎めたり、否定はいけないと思うあまり、失敗した自分を責めた自分を責める、なんていうおっそろしく堂々巡りなことをやってしまいがちだ。

よくある啓発本なんかでも、私のブログでもそうなのだが、その中で出てくる「ポジティブ思考でいよう」「自己否定をやめよう」「自分を肯定してあげよう」のフレーズは、常にポジティブ考えろという意味じゃない。勿論、出来なかったら責めろという意味でもない。
否定したことさえ否定しない、肯定できなかったことさえ否定しない、ポジティブに考えられなかったことでさえ否定しない、ということである。

逆に言うと、否定したことさえ肯定するのだ。

出来なかったら出来なかったでしょうがないよね、と開き直るのだ。

例えば、予め今日は掃除しようと決めていたとして、結局面倒臭くてずっとぐーたらしてただけの日だったとしよう。そしたら、ぐーたらしちゃったらしちゃったで別にいいよね、そんな日もあるよね、と言い訳して自分を正当化すれば良い。

誰かさんみたいに、そのぐーたらの期間があまりにも長引いて、たとえ3年もの間引きこもってゲームなんかしてぐーたらし続けたとしても、その3年を後悔して引き摺って、更にその罪悪感から逃れるためにゲームやインターネットに走るよりかは、開き直ってせめて明るい気持ちでゲームをやるとか、自分の健康についてでも考えた方がマシだ。急には外に出られないだろう。一歩踏み出せば外には出れるのに、なんて考えないでいい。それさえ開き直って今の自分の弱さを認めて、今出来ることだけをすればいい。
というか、逆に言ってしまえばそれしか出来ないだろう。

脱引きこもりまでは、なんとかこぎつけた私の話

自己否定せずに、家で過ごすうちに泣いたり、暴れたりする回数が減った。
人の通らない昼間の堤防(朝の方が人がいるんだよなぁ…。しかも朝は何故かみんな挨拶してくる。何故なんだろう…)なら歩けるようになった。
100円均一でのみ買い物ができるようになった。そのうちスーパーに入れるようになった。
1人でバスに乗れるようにもなり、飲食店にも入れるようになった。
バイトもなんとか始められた(始めようと決心してから半年経ってはしまったが)
気付けばなんとかドトールにも入れるようになった。…スタバは未クリアではあるが。

この一連の流れにざっくり3年ほど経っている。当たり前にスタバに入れる人間には、一体3年もかけて何してたんだ、と思われるかもしれないが私にはとんでもない進歩である。
それこそたった一年前の私には、1人で電車に乗ったり、1人でカフェ(私が1人で入店可能なたった1つのカフェ、ドトール)に入ったりすることができる自分など想像だにしなかったのだから。

結論

色々長くなってしまったし、どうもまとまりのない文章で申し訳ないが、要は「ありのままの自分を認めよう」ということが、この話の核心です。

自分の醜い部分や好きになれない部分。
反対に自分の得意な分野や、好きな部分。

どちらもを過大評価も過小評価もせずに、他人とも比べずに、かと言ってそれをしてしまっても否定せず、別に凄くもなければ、駄目でもない、ただの自分をただ認める。

少なくとも私は結構な時間がかかれど、それで少しはマシになった。考え方を変える、という手段を知って、始めたばかりの頃の私は、それで今のどうしようもない現状が変わると本気で思えず、馬鹿馬鹿しいと自己卑下しながら試していたが、それが3年以上たった今、やってて良かったと思う。

まぁ、そんなことが完璧に出来る人は、この世に存在しないと思う。というかそれは人間じゃない。
ポジティブ思考になれたとしても、そんな人生まるっとイージーモードになるわけじゃない。誰にだって上がり下がりはあるのだから。

ただ、自己嫌悪する回数を減らし、弱い自分も含め認めることが出来たら、それは今の社会の中で、幸福に生きやすいマインドの持ち方になると思う。

だから私もできればそうなりたいものだな、と思う。

最後に

・週3回1時間は散歩をする
・笑顔でいる時間を増やす
・自分を自分で褒める
・ポジティブなことは、思ったらすぐに口に出す
  (美味しい、楽しい、とか)
・ネガティブなことは、1人でいるときに口に出して吐き出す
  (独り言を聞かれたら死ぬと思っていた頃は全て日記に書いていた)
・To Doリストを作る
  (明日病院に行く、今月中にドトールに1人で入る、今年中にクラスメイトに話しかける、とか)
・啓発本を読み漁る
自己啓発系動画を見る
・自己分析をする
  (何故外に出るのが怖いのか、何故他人の目を気にするのか、それをして自分に何がもたらされ、それをしないと何がもたらされないのか、をとことん掘り下げる)

・深呼吸…、は私の場合息を吸った吐くというゆったりした動作をしてるととてつもなくイライラしてしまうので効果はなかった。というより続けることが出来なかったという方が正しいかもしれない。

振り返ると色々やったなぁと実感する。正直どれがどのくらい効いているのか分からないが、やっぱり相対的に自分を否定する時間が減ったのが1番大きいような気がする。それと自己分析。自分のことを知るというのは大切だと実感した。やってみると意外と自分で気付いていたなかったことに気付けたりする。

あと、この頃父に、「ボルダリングうつ病に効くんだぞ」と言われボルダリングを始めた。
見事に父とどハマりして、身体がかなり鍛えられた。目に見えて身体に筋肉がつき、懸垂も10回以上できるようになったのはやはりある程度の自信に繋がったと思う。

これから始めようと思ってること

と言いつつもう1週間前から、私の個人的メンタルの師である(3人いる)メンタリストDaigoの動画に触発されて1ヶ月継続チャレンジをしている。

趣旨としては、何かひとつ決めて1ヶ月間の継続を達成することで、自信をつけようというものである。2021年いっぱい、継続できたことがないな、としょげかえっていた私におあつらえ向きかなと思い始めることにした。

やると決めたのは二つ。

スマホを使う時間を1日1時間にすること。

もうひとつがメンタリストDaigoと私がよく啓発本等でお世話になってきた心屋仁之助(もう1人のメンタルの師)のやり方の複合体なのだが、朝起きてすぐに必ず台詞を最低3語口に出す、ということをやっている。

「私は愛されている。認められている」
「周りより劣っていてもいい。失敗したところを見られてもいい。それで私の価値が変わったりはしない」
「悩み続けても、悩まなくてもいい」
「今日もいい日になるよう心がけよう。だから今日もいい日になる」

とまぁ、これを書いたメモを枕元に貼って、毎朝家族に聞こえないように小声で呟いている。
朝これを呟いてから1日を始めると、気分はちょっといい。一ヶ月後に効果のほども書きたいものだ。

因みに台詞は自分にあったものならなんでもいいと思う。
例えばいつもダラダラしてしまうことに罪悪感を感じてるなら「いつもダラダラしててもいい」とか、罪悪感を頻繁に感じているなら「罪悪感を感じなくてもいいし、感じちゃってもいい」っていう風に。
取り敢えず自分を否定させないのが目的なのでこんな感じのがオススメです。

あとDaigoの動画では、1ヶ月だけタバコをやめるとか、禁酒するとか、そんな感じの例を出していた。あくまでも継続できそうな範囲でやるのが重要だ。
あと、もし一度破ってしまってもそこは気にしないのも大事。
たまにできない日があるのは仕方ない、だって人間だもの。

一番大事なのは、何がなんでも否定しないことである。

いずれ方法論をもっと羅列したような記事も書くつもり…ではあります。もし書いたらリンクをここに貼るので、その時はよろしくお願いします。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

二十歳人生初1人で電車に乗った思い出と、最近の日記。

つい先日冬休みが終わり、だりぃな〜なんて思いながら片道1時間半揺られて学校へ。
帰りの電車の同乗者に小学四くらいの男の子が一人で乗っていて、その年で一人で電車に乗れるなんてすごいな、と感銘を受けた。そこで思ったのが、皆さんは初めて電車に乗ったのは幾つくらいの頃なんだろうか?って言う素朴すぎる疑問だった。
学校見学のために、人生で初めて一人で電車に乗って、割と田舎な地元駅から通信高校が立ち並ぶ隣県の街中まで行ったのが去年の12月だったので、まだ一年しか経ってないんだと思うとなんだか感慨深い。

初めて1人で電車に乗れた思い出、といまだ1人で入れないスタバ

たった一年前は電車の乗り方が分からず恥をかくのが怖くて、その年の夏の段階から予行練習として母と何度か近場に出掛けたりもした。
が、結局初めての遠征は、母といった西口ではなく改札さえない東口から入ったせいで、券売所も分からず早速駅員さんから切符を買う羽目に。それから電車に乗り、乗り換えを恐れながらも、乗換駅で人の後についてゆくことでなんとかクリア。
無事目的駅まで辿り着いたものの、駅構内で迷いまくる。駅でミスドを買ってくる約束をしていたのでミスドを必死に探し歩き回るがしかし自分が一階にいるのか二階にいるのか、はたまた三階なのかさえ分からなくなり、周りの視線や人の多さに神経をじりじり削られテンパり倒し、偶然駅構内歩いていた警察の方に案内していただいた。人って優しいんだ、分からなかったら訊けばいいんだぁって脳からドーパミンが尋常じゃないくらい放出されて幸福感を感じてたことだけはしっかり覚えてる。
去年は人って優しんだぁって思う機会があまりにも多すぎた。
と言いつつも未だにUNIQLOやGUと言ったファストファション店以外には入れないのだが。あとドトールには一人で入れるがスタバには入れない。以前読んだ啓発本にもこれがそのまま書いてあってめちゃくちゃ共感したのを覚えてる。元引きこもりにスタバはハードルが高過ぎる。
まぁ、なにはともあれ成長したなと思う。さらに一年前に遡ってみると当時はダイソーでさえ、大舞台に立つ数分前かの様な緊張を持ってレジを通っていたから、当時の私からしたらかなりの大躍進だ。自分で自分を褒めてやらねば。

日記

現在の話に戻そう。
久しぶりの学校(通信高と言いつつ、週1でホームルームがある)は気が重かった。
ひたすらデスストランディングとテラリアをやりまくった正月気分が抜け切らないせいもあったが、やっぱり未だあまり友達も出来ずにいるのが現状だからだ。
こんなこと言うのもかっこ悪い話だが、21年という長いような短いような歳月の中で友達が存在していた時期なんてそのうちのたった半分も満たない私なのに、4月の私は高校にさえ入れば一年後くらいには2、3人は友達ができてるものだと思ってた。
こんな言い方をするってことは、次に来る文章はきっと予想がつくだろう。とどのつまり友達と呼べる方はできていない。やっぱりね。
ただクラスメイトのLINEは2、3個ゲットしたし、一緒に行動できる相手はいる。まあぼっちは回避できてる訳です。
しかも何度かLINE上で会話が出来たので、人生で初めて家族や親戚以外の歳の近い(とは言え4歳下)子とLINEをしたことになる。
それまで家族以外とは一切LINEをしたことが無かったので、時々NHKなんかの番組でやってるLINEいじめなんかのイメージしかなくひたすら恐怖し、初めて交換した子とは緊張で手汗と脇汗が尋常じゃないくらい出て、家族が一目で分かるほど顔が赤くなったものだが、今では多少は慣れたもので、汗はそんなにかかない。はいはい、進歩進歩。
今年中にはスタバに1人で入って、次の冬休みあたりには妹を連れていけるようになっておきたいものだ。

12月にバイトを辞めたお陰で年末は楽しくだらだらだらだらと過ごせたのはいいものの、そろそろ新しいバイトを見つけないと思うと気が重い。
未だバイトを一年以上続けれたことがないので、次こそは長く続けたい……というかここは田舎なのでそろそろ定着しとかないと、入れない店が増えるばかりである。こっちは職種も賃金も選択肢があんまりないので、都会が心底羨ましい。きっとスーパーで顔見知りに出食わしたりしないんだろうなぁ。

余談

余談だが、うちの父は電車の乗り方が分からない。さらに余談ではあるが父は生まれてこのかたお小遣い制から抜け出したことがない。あと実の兄の誕生日を大まかな時期さえも知らない。そんなことをつい最近母と話していて知った。父が受動的な人なのはそれなりに知っていたので、前者二つはさして驚きはしなかったが、兄の生まれた日を何月であるかさえ知らないことにはカルチャーショックを受けた。
それが特になにという訳でもないが、ちょっと誰かに言ってみたかった。
ちょっとした発見や趣味なんかを話す相手が居ないというのはやっぱりちょっと悲しく感じる。
まあ、だからと言ってそれがなにという訳でもないんですけどね。

ブログって何書けばいいんだろう?

おおよそ題名通り。
と、言ってしまうとブログがたった一行で終わってしまうので理由とかその他諸々を書いていこうと思う。

多分だけれど、「ブログを書こう!」と思い始めて何を書くかで悩む人は少なくはないんじゃないだろうか? 
実際ここに1人いるし、何を書くかを悩み抜いた挙句、『ブログ 何を書くか』で検索した結果、題材についてフォーカスしたブログ記事が結構出てきた。し、かなりお世話になった(読み過ぎて目が痛くなって丸一日使えなくなったが、それは別の話)

↓こんな感じ
f:id:hamahamahamatyan:20211230210637j:plain

今のご時世割と何にでも一定の需要と供給があるから怖い。
その代わり単価は下がる一途を辿ってそうだではあるが。

他者の目を気にしてしまう

題に矛盾するようではあるが、私の場合書きたいものはある。下書きやメモは溜まっていく一方だ。

じゃあ、何故まっさらな下書きページと格闘することになるのか?
答えは簡単だ。
変な話、普通のブログを書こうとするからである。
誰の目からも変に思われない文章を必死になって書こうとして、書いては消し、書いては消し…。
推敲し、推敲し…、そして消す!意味ねぇー
そんなことをしても仕方ないのが頭では分かっていても「完璧なブログ」を書こうとしてしまう。
勿論それは事実上不可能だ。この世に完璧なんてものは、残念というべきか、幸運と呼ぶべきかはさておき存在しない。

でもやっぱり、後で黒歴史になるんじゃないかとか、読んだ方にとってただの時間の浪費なって、クレーム入れられるんじゃないかとか、結局1pvも入らないんじゃないかとか、考え始めるとキリがない。
ブログを書いてると緊張で手汗が出るし、投稿ボタンが怖くて押せないため、今回も予約投稿。
んでもって、投稿して後はpvが付いてるか等確認するのが怖いため、胃痛に悩まされる羽目になる。
自意識過剰である。でも仕方ない。
他人と目が合うだけで自分を疑う自信のなさだ。未だにスタバは怖くて1人では入れない。

1pvも入らないんじゃないか、とか不安を巡らせてる癖におかしなことにpvはついてて欲しいのだが、ついてて欲しくない。
目立つのは怖いのだが、誰かに注目されたい気持ちがある。
多分後者の方が本音だが、傷つくのが怖過ぎて拒否反応を体が起こしてしまう。
これでも一番うつが酷かった頃よりかは、かなり緩和された方だが、未だになかなか行きづらい性格をしているなぁ、と他人事のように思う。
他人事のように気楽に思えるのは、自力でそれなりに持ち直せた自信と、今が割と躁状態だからだろうなぁ。

まぁ、というわけで

ブログを投稿するのは勇気が要る。勇気が。
あと、自分の書いた記事への寛容さも、必要だ。

ので、今回も適当に書いて投稿しよう…!(言い訳)
ちなみに適当と言うのは

てき‐とう〔‐タウ〕【適当】 の解説
[名・形動](スル)
1 ある条件・目的・要求などに、うまくあてはまること。かなっていること。ふさわしいこと。また、そのさま。「工場の建設に―な土地」「この仕事に―する人材」

2 程度などが、ほどよいこと。また、そのさま。「調味料を―に加える」「一日の―な仕事量」

3 やり方などが、いいかげんであること。また、そのさま。悪い意味で用いられる。「客を―にあしらう」「―な返事でごまかす」

引用元URL 適当(てきとう)の意味 - goo国語辞書

の、2の適度の程であって、決して3に書かれている意味のいいかげんであることではない(言い訳)決して
しかもいい加減も、元々はちょうどいい加減という意味で使われてたのだし……あまりにくどいのでここらで黙ることにします。

こんな駄文を最後まで読んで頂きありがとうございます。






……次も、自分で始めたことを遂行できない情けなさに直面しないためにも一週間後くらいまでには更新したい。というかそれ以前に今日中にこのブログを投稿できるかに頭を悩ませているはまたろすでした。

お初です。はまたろすです。

f:id:hamahamahamatyan:20211215073859p:image

初めまして。

「はまたろす。」といいます。

中学から不登校拗らせて、高校に入れないまま約5年間引き篭り、去年初バイトを経験し、最近通信高校に入学して、本物のhigh school students(陰キャ率高め)にまぎれて高校生活を送っている二十歳……な躁うつ人間(自己診断&治りかけ)です。

そんな私こと、はまたろすがうつを改善していく成長過程(完全に治るとは言っていない)や、うつに関するあれそれをお送りしつつ、色々書いていこうと思っている次第です。

とは言え、仮にもうつ病

電車で他人と目が合っただけで、自分がどこかおかしいんじゃないかと疑い始めるレベルな私の自意識の過剰さはエベレスト越え。

こんなもん書いたところで10pv程度も集まらんだろうに、こんな拙い文章を不特定多数に見られるという恥ずかしさが走り、第一回目となる予定の記事を書いては消し、書いては消しetc…。

そんなこんなでブログを書くと決めてから半年近くが経ってしまった。

pvが全っったくつかないのも怖いが、pvが1でもついたらついたで逆に怖い。

誰でもいいから私のブログを見ろ!

そんでもって誰も私のブログを見ないで!

って気持ちです。

今書いてるこれも、投稿できるか否か。

まずは慣れるまで適当に書いていこうと思ってます。

取り敢えず、よろしくお願いします。